ニートです。

日記とメモ。

English is Art or Tool?

 

 

 

最近見たTEDで面白かったの。今の自分とリンクする内容で興味深くて、かつ少しだけ励ましてもらえた気がする。

 

英語を話すときはピアノを演奏するときみたいに完璧さを求めるんじゃなくて、ビデオゲームをするときみたいに、失敗することや他人からの評価なんて気にせずに、ただミッションをクリアすることにだけに集中しよう、といった感じの内容。

 

この動画の中の言葉を借りるとすると、最近の私にとってのイングリッシュは完全に 'An art to be masterd' だった。完璧でいなくちゃいけない、もっと話せなくちゃいけない。そう考えるようになったのは理由がちゃんとある。

 


ひとつは、海外に来て日本人のいない環境で働いているから、話せるようにならなきゃいけないというプレッシャーを勝手に感じていたこと。外国人ばかりの環境で働いていたんだよね、って言われたら、その人に対してどんなイメージを抱きますか?英語ペラペラなんだろうなって思いますよね。だから、私は、そうならなきゃいけないんだ!と、誰から課された訳でもない根拠も形もないプレッシャーを勝手に自分に課して、勝手にそれに苦しんでた。不特定多数の誰かがイメージする像にはまろうとしていた。それが誰なのかもわからないのにね。英語はもちろん上手くなりたいし、日本に戻るなら渡航前よりも上手くなって帰りたいとは思う。でもその気持ちが強いが故に、完璧にこだわりすぎて会話に躊躇する場面が多々あったような気がする。

 


ふたつめは、仕事におけるクレームや注文等を英語で容赦なく畳み掛けるシンガポーリアンに対応するため、日常会話レベルではなくビジネスレベルのボキャブラリーや反射的で素早いレスポンス、しかもしっかりとセンテンスを組み立てて瞬時に答える能力が必要だと思ったこと。シンガポール人は独特のシングリッシュを話すけれど、英語レベルで言えば完全にネイティブ。しかも彼らの話す英語はとても早い。特に電話だと最悪。私の働いている会社は日系ではなく、そういう人たちから当然英語が話せるという認識で話を持ちかけられる「ローカル企業」だから、その環境が私に完璧な英語を話さなきゃという強迫観念を抱かせたと思う。

 

この二つの理由のせいで、私は英語を完璧に使いこなせるようにならなきゃという気持ちになっていた、最近。今でも少なからずそう思う。完璧である必要はない、というのは前から知っていた。でも、それでももっと上手くなりたいという気持ちは強いし、毎日英語を使うチャンスがそこらじゅうに転がっているぶん、現実の自分とのギャップに悲しくなることなんてザラにある。毎日毎日新しい語彙に出会って、圧倒されながらも成長しているような感じもする。

 

 

救われたのは、このスピーチの最後の部分。

 

When you speak, don’t focus on yourself. Focus on the other person and the result that you want to achieve.

 

英語を話すときは、自分が完璧な英語を話せるかとかいかにミスなく話せるかとか、そういう自分自身の問題に重点を置くのではなく、そのコミュニケーションの対象である相手に集中すること。そして自分の知りたいことや聞きたいこと、そのコミュニケーションの結果として何を得たいのか、その結果を得ることに重きを置くこと。

 

上達を目指す自分の志は変えたくないけれど、英語を実生活で使うのならばこの気持ちを持つべきなんだと素直に実感させられた。

英語を使う場面を強いられるということは、その前提としてコミュニケーションをとらざるをえない場面であると言えるから。コミュニケーションをするという場面があって初めて、言語がそのツールとしての役目を果たすことができる。言語が存在するのはコミュニケーションを実現するため。だから、その相手とわかりあえるかどうか、意志の疎通ができるかどうかが、英語の完璧さなんかよりもはるかに大切なんだ。

 

なんていう当たり前のことに気づかされたというか、あぁそういえばそうだったなと、そういう感じで思い出させてくれた。でもそうはいってもね、現実はなかなかうまくいかないから大変。ちなみに今日電話越しで言われて?ってなった言葉は、Outstanding Payment. なんだろう?と思って後から調べたら、日本語で「支払遅延分」。いやこれダメじゃん!