ニートです。

日記とメモ。

大人になれたかどうかはわからないけれど、スティーブジョブズに共感できるようになった。

 

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

 

自分はいつでも宙ぶらりんになっている気がする。世界は分断されていて、あーゆう系の人たち、こーゆう系の人たち、本を読むのが好きな落ち着いた人たち、常に友達と遊んでいる陽気な人たち、みたいに分かれていて、私はそれのどこにも属すことができずに、そういった人たちの両方と、自分の異なる側面を小出しにしながら関わっている感じ。完全に属せるような、自分を分類させることのできるような世界など、この世に存在しないように思う。それは、例えばBTSのジョングクさんのような、黄金マンネだから!超すごいから!前例なんてないから!とか、そういった意味で感じている訳ではないけれど(最近BTSにハマっています)。べつにどこかに属したいわけでもないんだけど。世界が分断されているように感じるのだって、結局のところ私の偏見でしかないし、そんな見えない壁など存在しないのだろうけど。

 

でも、私は、そんな自分が好きです。宙ぶらりんの自分。というか最近、好きになりました。色んな人たちと広く浅く結びつくことのできる自分、そこが好きだし、それが強みだと思っている。でもたまに、少し寂しくなる。完全に自分を理解してくれる他人などいないけれど、他者が思う「私」と、私が思う「私」に齟齬があるなあ、と感じるときがたまにあるから。

 

どうして人は、他人をわかりやすくまとめたり、分類したりしたくなるのでしょう。一度抱いたその人の印象や、一度そうだと思ったその人の属性があったとき、その像から外れたような側面がその人から見えてしまったら、「あー、なんか違ったわ」なんて、そんなふうに思ったり、思われたりしてしまうのでしょう。人間なんて一言にまとめられないからこそ人間で、一括りにできないからこそ面白いのに、なんて思いつつ、それでも私は、そんな自分に自信がなくて、他人から「あー、なんか違ったわ」と思われるのが怖くて、昔はわかりやすい「私」になろうとしてた。極端になろうとしてた。一人が好きならそれらしいキャラでいなくちゃいけない、友達と騒ぐのが好きなら常に元気いっぱいでいなくちゃいけない、でもやっぱり、そんなの無理だった。そんなの自分じゃなかった。

 

新しい出会いはいつだって自分の心を踊らせると共に、その人が抱く「私」という幻想に触れるたび、少し怖くなる。私そんないい奴じゃないから、とか、そういうことを言っているんじゃなくて。お笑い芸人みたいにボケたりつっこんだりをリズミカルにしたいときもあれば、オチのある話なんかクソくらえ、みたいな気持ちで、人生や愛について真剣に話してみたいときだってあるんです。皆んなにおかしいと言われることでも、ダサくね?とか、それはなくね?とか馬鹿にされるようなことでも、自分が好きだからやりたい、自分が楽しいから貫きたい、そういうときだってあるんです。

 

大人になったと感じるのはどんなときですか?という問いに対する明確な答えは、自分でもわかりません。そもそも自分は歳を重ねているだけで、大人になったという心地さえしていません(当方、数年前に成人済みです)でも、そんな20数年の人生の中でも、ほんの些細な点と点が繋がって、自分はここまで生きてきました。せめてもの思いで答えるならば、自分が大人になったと感じた瞬間は、スティージョブズに共感できるようになったとき、ですね。かの有名なスタンフォード大学卒業式のスピーチ。Connecting the dots(点と点をつなげる)というお話。ジョブスさんのスピーチに出てくる彼の「点」は、そのひとつひとつが濃厚で、たしかにバラバラではあれど、存在感の強いものでしたが、私にとっての点というのは、そんなに大それたものじゃなかった。でっかいでっかい存在感のあるマル、いかにも大事です!重要です!ターニングポイントです!と主張してくる図々しい奴というよりは、その時点では、これからの人生の中で一つの点になるのかさえもわからない、むしろ、もっと主張してきてよ、わからないじゃん、なんて文句を言いたくなるような、そのくらいにとても些細で小さな粒。

 

それらを無意識に蓄積していくうちに、私は自分のことを少しずつですが、好きになれました。私の点はそのひとつひとつが大きいわけではないけれど、それでも個性的で、色んな場面で色んな経験をして、オリジナリティだけは確固としてそこにある。バラバラな要素で出来上がった自分、様々な人と関わる自分、色々な顔を持つ自分。そんな自分は芯がぶれぶれのようで、どこにも属せていないみたいで、なんだかひどく嫌気がさすときもあったけれど。スティージョブズに共感できる器になった今、私は自分の、そういう多面性を愛しています。そして、これからも大事にしたい。だからもしこの文章と向き合うあなたが、そういう多面性を内面に抱えているとすれば。本音と建前ではないけれど、自分だけのオリジナルルートで、点と点を重ねた人生を歩み、そこにあなたらしさを滲ませているのであれば。そういう人たち、私は大好きだし、自分の個性も他者の多様性も、ずっと尊重できるような人間でいたい。大人というのは結局なんなのか、それは今でもわからないけれど、歳を重ねて筋肉痛が遅れても、二日酔いの度合いが年々ひどくなったとしても(飲み方が悪いだけ?)、私はずっと、そういう人間でありたいと思う。